小1の壁に激突ルポ!お片付け編
うわーーい久しぶりにブログ書くよ。前に書いたの2年前だよ。
去年の年末あたりからブログ回帰がちらほらと見えるので、今年の目標はブロクをもっと書く!だったんだけどすでに2月も後半…ガンバリマス
さて、私は二人の息子の母でして、こないだ産んだと思った次男がもう今年小学校入学!時の立つのは早い…。で、長男のとき小学校入学ってめちゃくちゃいろんなことがあって凄くストレスだった覚えがあるので、今回もめちゃくちゃ身構えてます。とはいえ、2回目だからましよね…と思ってるとそうでもないのよこれが。
例えばすでに学童申し込みでやらかしていてですね、「気づいたら学童申し込み締め切りすぎてた事件」というのを起こしたんだけど、それはまた今度機会があったときに。今日はお片付けの話を書こうと思います。
正直に告白すると、私は片付け苦手です。夫と結婚するまでちょっと片付けられない部屋の住人だったし、いまでもあまりうまくない。断捨離とこんまりさんも一通り通過したけど、やはり忙しい毎日に追われてだんだん崩れていく…という感じです。ただ、長男のときに実感したのは
幼稚園のときには親が準備してあげていたものを小学生になると自分で準備しなければならなくなる。時間割や着替えやもろもろ(ていうかそろそろ自分でやってほしい)
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とはいえ通ってきたドアが全部空いているほど前しか向いていない子供に、ものの在り処を教えたり学校から帰ってきたあとに片付けさせるの難易度高い!
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片付けやすい仕組み(つまりものの帰る場所を決めておく)を作っておかないと親の私が死ぬ!(子供が自分で準備できない、片付けられないと親仕事が増える)
ということでした。
でも私は片付け苦手、つまり収納の仕組みを考えるのが苦痛…ということで今回早めに見切りをつけて、プロの手をかりることにさっさとしました。そして、友人に紹介してもらった整理・収納サービスの方をお願いして、早速来てもらうことにしました。お願いした内容は
−次男入学にあたり、本人が自分で着替えたり片付けたり準備したりしやすい配置と動線をつくりたい
−長男のもので捨てられないもの(弟も使えるもの)が邪魔で片付かないのをどうにかしたい
と予め依頼しました。
結論から言うと…めちゃめちゃよかった!!!
なんでよかったのかを考えた=なぜ私が片付け苦手かに気づいたのでちょっとまとめておきます。
今回気づいたのは片付けとは3つの要素に分解できるということでした。
①ものを捨てる、取っておくなどを決める(意思決定能力)
②手早くものをどんどん畳んだりしまったり手を動かす(実働能力)
③収納術を知っていていい収納アイディアがすぐ浮かぶ(経験値)
この3つが同時にくるともう全然無理なんですよ、私。
まず意思決定って結構たいへんじゃないですか。「これ捨てる?とっとく?どうしよう?」って考えているあいだに「とっときたいけど場所がな…他にしまうところないかな…どこか隙間…あ、入れる用のいいサイズの箱とか…えっと箱どこかになかったっけ…あ、こないだ見つけたアレと一緒にいれとこうかな…あ、アレどこだっけ…あ、ここだとあとで取り出しにくいかな…他の場所…」と①をやっていたのに②、③に思考が流れていって決められない!
今回はプロが来てくれたので、ある程度私は意思決定をすることに集中して、いらないものを決めたらそれを捨てる袋にいれることばかりをやっていました。逆にプロの方は②の手もめちゃくちゃ早いし、③のこっちが思いつかない収納法を提案してくれたり、これとこれはセットで置いておきましょうとか提案してくれたり、そのあたりが次々と解決されていく!きもちいい!!!
それでも①の意思決定だけで結構頭をつかって疲れてしまったのですが…結果として無事に長男の使っていた本棚や洋服ダンスが整理され、次男の小学校グッズの置き場や洋服の片付け方法などもきっちりきまり、空きスペースまでできた!奇跡!
(本当は最初のごちゃごちゃ写真とアフターのスッキリ写真載せたいけど勇気がないw)
するとですね、なんと!入学準備のほかのこともスイスイ回り始めたんですよ。たとえば入学用品の買い出しとか。なぜなら買ったらスッとおいておくスペースがもうあるので躊躇なく準備用品が買えるのです。これがスペースがまだなかったら買って紙袋に入れたままクローゼットに押し込み、4月になってからにあれ買ったっけ?まだだっけ?あ、2つ買っちゃった!!とかやりかねない。
なにせ、小学校入学に向けたTodoが44個あるんですよ…恐ろしくないですか、新入学準備。ちょっとしたプロジェクトですよ、だってエクセルでTodo管理してるもん(しかも兄の時のが残っていて役立った。当時も相当パニクっていたことが見て取れるリストw)。単に物の購入だけじゃなく、やれ銀行引き落とし手続きを銀行窓口あいてる時間にいってやれとか、袋物やランチョンマットの制作(買ってもよし)、習い事の時間変更、予防接種、はたまた鍵もたせる?スマートロックに買い換える?とか。あと最後にやってくる大量の名前つけまで!
というわけで、新入学を控えたみなさま、家の片付けにプロ呼ぶの、(お片付け苦手なら特に)すごーく役立つかもしれません。ただでさえ卒園→入学で慌ただしい時期、大きな山をプロの力をかりて乗り越えておくとあとが楽です!おすすめ!!!
もう好きにさせてくれよ、見た目くらい
はー、四月に転職してから全然ネットで遊ぶ暇もないです。わかっていた事だし仕方ないんだけど。あと四月からかの次は弁当とおやつが必要になったので朝1時間半ぐらい幼稚園児の弁当、幼稚園児のおやつ、小学生の塾弁、子供達の朝ごはん、子供達の夜ご飯の仕込みをしてます。これ振り返ったら自分を褒める事になると思うので、そのためだけにやってますw
さて、私は40絡みのおばさんなわけですが、2年前に次男の時の育休から復帰した時にメイクするのやめたんです。今は日焼け止めだけしてる。あと、1年ぐらい前からヒール履くのもやめました。完全にスニーカー生活です。快適。
メイクやめたっていうと結構「ヒッ…!マジで!」って感じで引かれること多いです。パターンとしてはA「なにこのひと変なひと!」B「女として終わってるな」みたいな感じ。
Aのひとは多分外に出る時メイクしないのは社会人として失礼、みたいな感じでしょうかね。なんだろう、いつから仕事するときにはメイクしてないと失礼、みたいなのになったんですかね。持って生まれた顔で仕事をして何が失礼なのだ。むしろ濃すぎるメイクとか目尻からはみ出るアイラインとかりゅうちぇるみたいなチークとかの方がそっちが気になって仕事にならんのでは、と思うよ。美人がウリの商売をしている人以外は正直メイクできれいに整ったされた顔よりも誠実な対応やよいレスポンス、朗らかな人柄とかの方がよほど信頼に結びつくと思うわけですよ。私の仕事内容を考えてもメイクしてる私とメイクしてない私では提供価値に変化なし、と思ったのですっぱりやめました。
Bの人はね、男性の場合は「うん、お互い男女関係にはならないから余計なお世話❤️」で終わり。女性の場合はね、なんでそんなに女でいることにこだわってるのか聞きたい。そもそも私はメイクしててもしてなくても女ですから。その女ってね、よく「オンナ」って書かれる方のやつだと思うんだけどね、男から性的対象と見られなくなったら終わり、みたいな価値観から生えてきてると思うわけですよ。なんでそんなに性的価値を重視するんだろう。好きな人にならともかく、別にその他の世の中の人がどう思おうとあんまり関係なくね?と思ってしまう。
メイクしたい人はガンガンしてもいいし、しなくてもいい人はしなくていいと思う。それを他人にとやかく言われる筋合い全然なくて、みんな好きにすればいいじゃんと思う。仕事するのに最低限清潔にするとかさ、そういうのでいいじゃん。あと、職業上こう見られたいっていうこと(信用されたい、頼りにされたい、誠実だと思われたい)とかの方が重要じゃん。もちろんメイクが上手と思われたければ上手なメイクして仕事すればいいじゃん。
だからさ、メイクしないと失礼とかさ、メイクしないと女じゃないとかさ、変な価値観を人にぶつけるのやめようよ。ほんと、もう好きにさせてくれよ見た目ぐらい。
だから自分で自分を癒すしかない
今日twitterで流れてきたこの記事、すごーーく腹落ちしたので書いておく。自分の中ではクルッとストーリーになったのですが、うまく文章には書けないかも。でも書いておく。
なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」 http://bit.ly/1lTuqTn
みんな大人になってもいろいろ抱えてて、親とうまく行ったり行かなかったり、いろんなプレッシャーを受けてたことに初めて気づいたり、親から有形無形に教えられたことを疑問に思ったり。なんでこんなにみんな多かれ少なかれ親との問題を抱えるんだろうって常々謎だったんですよね。でも、最近なんとなくああこれって世間からのプレッシャーをそれぞれが強く抱えていて、課された役割を果たさなければとストレスを抱えた結果、家庭内でより立場の弱い子どもになんらかの圧力がかかっていたのだな、と常々思っていたのです。この記事を読んだときああ歴史的背景とともに証明されている、と感じました。
特に、母親世代は人生で辿るべきコースみたいなのがものすごい圧力でかけられていたわけで、一定の年齢になったら結婚しないと行き遅れと謗られ、好きだった仕事も辞めて家庭に入るべきと会社を勝手に寿とかつけられて退社させられ、子どもを産んで初めて一人前とされ、良き妻として夫を支え、良き母として家庭内労働を一手に引き受け、夫の出世と子どもの成長や学歴が自分の成功メジャメントとなり、そりゃ人として壊れるし、子どもにストレスをダダ流ししてしまいそうだな、と思ってしまう。個人的に自分の母親には言いたいこともあるけれど、時代がそうさせていたところは否めないのだな、と。記事は男性の受けてきたプレッシャーにフォーカスされていましたが、結局は同じ、男は家庭を顧みず仕事で立身出世すべし、女はそれを後ろから支え家庭運営を一手に引き受け円滑に回すべきというシングルモデルにみんなが合わせないといけなかった、ということなんだと思います。
でもこれに気づいた時、なんだかホッとしたのです。なんというか、自分の中に溜まっていたいろいろなグズグズが、ちょっとすっきりしたというか。自分の母が、私が子どもの頃私を取り巻いていた大人たちが、それぞれ私にプレッシャーをかけてきたのは時代のせいなんだな、私のことが憎かったり私が悪かったからではないんだなと思えたら、なんだかちょっと癒された気がしました。
時代のせい、その時の”世間の常識”がこれほどたくさんの人たちの人生に影響を与えていたことを思うと、その影響力に背筋が寒くなるし、もっと怖いのは、いまの時代の”世間の常識”に従って自分も親世代とはまた違った形で子供達になんらかのプレッシャーを与えているのではないか、ということです。だってそうでしょ、大多数の親たちはそれが正しい、子供のため、良かれと思ってやってきたと思うから。そうならないためにどうしたらいいか、ということを考えたわけですよ。私も人間だし知らずに子供を傷つけているだろうし、それはもう避けられないのだとしたら、せめて、自分で自分を癒せることにはやく気づいて欲しい。最後は自分で自分を癒すしかないよね、と。
子供の時から傷ついてきたこと、人から言われたこと、自分ではどうしようもないことに関して、自分が悪いからそういう目にあったわけではない、たまたま時代が人をそうさせたり、相手がわけのわからんストレスからあたってきていたりしていることであって、その原因は自分にない。もしかしてひょっとして多少原因があったとしても、それは自分自身のありようなのでしょうがないですね、と思えると、じゃあ、ありのままで生きてみようかなっていう気にもなりそうじゃないですか。
なんとかこの自己修復作業というか、自分癒しプロセスがうまくできるように、ということを子供に伝えていきたいなーと思っています。難しいけど。具体的にどうやって伝えたらいいか全くわからないけど。
記事には、「ありのままの自分で生きることが息苦しさを抜け出す一歩」とあります。自分でないものになろうとすることがストレスとなり周りに対して攻撃したり虐待したりする原因となる、と。ありのままの自分で生きるのは結構勇気もいるし、なかなか大変なことだとも思うのですが、自分で自分を癒していければ、顔を上げて前を向いて自分らしく生きていける力になる、と思った次第なのですよ。
ああ、ちょっと、夜中のラブレターみたいに明日の朝になったら後悔するかもレベルのグズグズ感溢れる話ですが、まあいいや。そういうときもある。
嫁ブロックの違和感
子供の習い事
ご無沙汰してますー。右足首捻挫→首寝違い→左足甲捻挫を一ヶ月間にやっちゃいました。怪我ばかりしててひっさしぶりの更新です。さて、子供の習い事について。
もう家庭内で”稼いでる方が偉い”っていうのやめようぜ
今日アップされた中野さんの記事(下にリンク載せますね)の流れに触れたコメントでてましたね。その中でちらりと見かけたツイートで「育児の方が仕事より大変って決めつけんなや!」的なものを見かけたんですね。この方男性で、かなり家事も育児もやっていらっしゃる様子でした。そんな人に”どーせやってるつもりで大したことやってないんでしょ”的なリプした人がいて、そのリプに対してかなりご立腹でいらっしゃるようでした。
そりゃそうですよね、わかります。男性はどんなに家庭内のことを(ひょっとしたら妻よりも)やっていたとしても、”大したことない”っていうバイアスがかかりがちだし、世の中の一般的な男性がそんなにやっていないことをやっているのに、全然知らない人からそんなこと言われると腹たちますよね。
でもね、それって「そんなに育児してる方がえらいなら、俺やるからお前稼いで来いよ、家計担ってけよ、俺主婦してパートでもするよ、って言ったらどーせできやしねえんだろ?」っていうのは違うと思うんですよね。
それってつまり”女は男と同じように(またはよりたくさん)稼げるわけない”っていうのをベースに考えてるわけでしょ。それって”男が女と同じように(またはよりたくさん)育児をやっているわけない”っていうのと同じじゃんと思うわけです。
どれぐらい育児をするか、どれくらい外の仕事をするかは本当に各家庭それぞれだし、元々の中野さんの記事にもあったように、家庭内の役割分担が社会での役割分担に大きく影響されているし(夫が残業して稼いだ方が家庭としての収入を最大化できる)、女の人の方が全く同じ条件でも社会的にハンデを負っている(採用/与えられる機会/昇進の差)わけで、女も好きで稼げないわけじゃないんですよ。もちろん世の中には女性の方が稼いでる家庭もたくさんあると思いますよ。でもそれが表面にあまり出てこないのは”夫を気遣って”であったりしていて、男性も”働け稼げ大黒柱だろ!”プレッシャーを受けていることの裏返しなわけじゃないですか。
だからね、もう家庭内で”稼いでる方がえらい”っていうのやめようぜって思うわけです。夫が今の年収稼げてるのは妻が育児やらを(ひょっとしたら泣く泣く仕事をあきらめて)多めに負担しているからかもしれないし、夫がその仕事でその額稼げるのは社会的に”男だから”かもしれないし、逆に妻の方が稼げているのなら、それは夫がよその夫よりも家事育児を支えてくれているからかもしれないし。100家庭あれば200通り(妻と夫の)の働き方と100の家庭運営があるわけだし、それぞれ納得してても納得してなくても家庭内でお互い歩み寄っていくしかないし、二人しかいない夫婦で”夫が/妻がより稼いでいるからお前より偉い!”っていうの意味ないっしょ。
だからもう一回いうけどもう家庭内で”稼いでる方が偉い”っていうのやめようぜ、だせえから。
育休明けのみんなたちにひとりごと
4月1日ですね。かの次も無事保育園2年目を迎えました。1年間山あり谷ありしながらやっとこさ乗り越えてきたのでこの1年はより楽に乗り切れることを祈ってます…
さて、4月ですから育休復帰される方も多いとおもいます。自分の2回の復帰の経験を経て思ったことをつらつら書いておきます。
1)あせらない
すでにお子さんを生んでしばらくたっているので子供がいかにままならない存在かということを実感されていると思います。子供につきあう時間と社会で働く時間の相性は非常に悪いです。例えば時間に遅れるとかは社会人の基礎としてどうよという感じですが、子供は必ず着替えを嫌がるし、ご飯をずっと食べているし、出がけに大とか小とか襲ってくるし全然思うようになりません。なので社会のペースに合わせられなくても元々かなり無理なことに取り組んでいるのでできなくてもしょうがない、と自分を諌めましょう。
以前の業務に復帰しても以前のように働けないことも多いです。まずは時間の制約。お迎えの時間に間に合うために5時に会社を出ないといけないとしたら4:58ぐらいに必ず電話がなり、捕まります。またはパソコンを閉じようとしたその時にメールで急ぎっぽい依頼が舞い込みます。そういうものです。うっっっ、と思うかもしれませんが私のオススメは聞かなかったことにして電話をスルーし、メールを見なかったことにしてパソコンを閉じましょう。その一件に答えていることでその日の夜がぜんぶおじゃんになる可能性を秘めているからです。天下分け目の戦いです。でも、以前のように働けない自分を責めたらダメです。以前の自分と比較しているのは他人ではなく自分です。自分で自分を追い詰める行為はぜんぶ積極的にやめていきましょう。
2)でもあきらめない
少し慣れてくるともっとあんな仕事がしたい、こんなことにも挑戦したい、と思い始めますが、それはいいことです。でもいきなり仕事を増やしたりするのは後で自分にかなりの負荷がかかります。大事なのは「こりゃ無理だ!」と思った時に撤退する勇気です。挑戦と撤退をフレキシブルに繰り返し、自分の限界を眺めつつもできることを増やすという気持ちでやりましょう。限界には挑戦しないと自分が伸びないのですが、挑戦しすぎると自分も家庭も破綻します。注意。破綻のキワまでいったわたくしからの心からのメッセージです…
大事なことは完全撤退しないことです。つまり仕事をやめたりすると、今の日本の社会ではかなりの確率で復帰が難しくなります。薄くても、ゆるくても、周りの人と比べて全然できていないと思っても、そこに居続けることが大事です。
ついでに言っておきますけど、働くお母さんが一人でも市場の中にいることで次の世代の働く女性への道がつながります。だから、いるだけでいいんです。働き続けることが大事で、それだけで価値があります。あなたを見て辞めることをやめる後輩もいるかもしれないし、働く母がいるから入社してくる人だっているかもしれないのです。だから直接的に今いる所に貢献できてなくても長期的には貢献しているのです。そのこと時々思い出して奮起しましょう。
3)いろいろ疑ってみる
せっかく新しい生活を手に入れたのでいろいろ疑ってみましょう。たとえば仕事であれば本当に残業しなければ成果は出ないのか。もっと効率よく働く方法があるのではないか。この業務や手続きはいらないんじゃないか。身近な先輩や直属の上司は今までのやり方を変えることを嫌がるかもしれませんが、虎視眈々とアイディアをシェアする機会を練りましょう。絶対どこかで役に立ちます。
より疑いを持った方がいいのは自分自身の価値観、くせ、コミュニケーション方法などです。たとえば、自分がやっていることの一部を他の人にやってもらえないか(夫、外注、機械などなど)、本当に一部の業務が必要か、など疑ってみましょう。自分の習慣を変えられない理由は主に二つあり、一つは自分の中にある価値観(ご飯はすべて手作りすべきではないか、周りから手抜き思われているのではないか、きちんとしたお母さんだと思われたい、など)と、あまりに無意識にくせになっていて気づかない(夕飯の買い出しはその日にする、洗濯は夜はしない、掃除機は毎日かけるべき、など)です。これらを徹底的に疑いましょう。色々と楽になったり、気づかなかった世間の仕組みや自分の思い込みに気づいたり、発見があります。
コミュニケーション方法についてはよく「ほめておだてて夫を育てる」とかありますが、個人的にはいい大人を育てるとか気持ち悪くてあまり好きではないです。ただ、同じことでも言い方で相手の反応がかなり変わるというのは本当だと思います。生活の変化やそれにともなう負担が大きいときだからこそ、今までと違った方法で伝えてみるのは良いかもしれません。ちなみに我が家で一番効くのは手紙です。限界になると紙にしたためて置いておきます。内容について何か言われることはほとんどないですが、夫の態度はガラリと変わります。でも伝家の宝刀で滅多に使わないので、手紙が出ると相当やばいということが伝わるからかもしれません。
つらつらあんまりまとまりがない上に読み返してみると自分に言ってる気もしてきましたが、どこかで頑張っている誰かの役にちょっとでも立てればいいなあとおもってます。ではまた〜。